記憶の曖昧さ

このところ姉や叔母とゆっくり話す時間がある。
そして感じるのは、人の思い出・記憶と言うのは随分違うということ。

一緒に経験し、同時にそこにいたはずなの事なのに、ゆっくり着き合わせてみると全然違ったりする。
AがA´くらいならまだしも、CやZに変わっている。

人間の記憶の楽観性や、その登場人物への好悪感情も大きく関わるようだ。
皆気が強く、若いときならどっちが正しいとか間違ってるとかで言いあいにもなったけど
もうお互い、好きなように思っておけば良いわねと言う感じ。
それにしても夫々がまだ解決できていない(未消化な)思い出もあって、人ってほんのわずかな事にでも心が引っかかる時には引っかかるものだと改めて感じる。
叔母なんて五十年以上も前のことをいまだ「どうしてだったのかしらねぇ?」と疑問詞で話す。


姉や叔母が知らないことまで私は知っていたりする。
人の目や耳を気にする様な時も、年端も行かなかった私を誰も気にも留めないでいたお陰(?)
普段忘れている記憶の奥底を覗くのはたまには良いけど、時に悪趣味になりかねない。